福岡高等裁判所 昭和61年(ネ)134号 判決 1988年3月31日
控訴人
高口代司子
控訴人
高口典子
控訴人
高口善朗
右両名法定代理人親権者母
高口代司子
右三名訴訟代理人弁護士
津留雅昭
被控訴人
西式ヘルスドックこと
岩本輝義
右訴訟代理人弁護士
大原圭次郎
同
古海輝雄
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人は、控訴人高口代司子に対し金六八二万四三八六円、控訴人高口典子、同高口善朗に対し各金三四一万二一九三円、及び右各金員に対する昭和五八年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その四を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
五 この判決の第二項は、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人高口代司子に対し金三三四二万八一六九円、控訴人高口典子、同高口善朗に対し各金一六七一万四〇八五円、及び右各金員に対する昭和五八年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
一 訴外高口清の死亡までの経過
(一) 被控訴人は、肩書住所地において、「西式ヘルスドック」、「健康を守る会」または「岩本治療室」の名称で、いわゆる断食道場を開業しているものである。
(二) 高口清(昭和二二年二月一五日生、以下「訴外清」という。)は、昭和五七年八月一二日福岡県大牟田市内の曙病院において糖尿病と診断され、同日から同年九月一七日まで同病院に入院し、同月一八日か、同年一一月一三日まで同市内の済生会大牟田病院に入院してそれぞれ治療を受け、同月一四日から自宅で治療した後、同年一二月一日から勤務先の国鉄大牟田保線支区に復帰して、軽作業に従事するまでに病状が回復したが、なおインシュリン注射と飲み薬を欠かせない状態であつた。
(三) 訴外清と妻の控訴人代司子は、糖尿病が断食道場で治療を受けて治つたという話を聞き、昭和五七年一二月一日被控訴人経営の断食道場を訪れ、被控訴人に対し前記のこれまでの病状、現在前記の薬剤を注射及び服用していること等を詳細に説明した。被控訴人は、断食治療について話をする際、右訴外清及び控訴人代司子に対し、ここでは西洋医学の薬は使わないで治すので、インシュリンの注射や飲み薬は必要ない、一七年間も何千人もの人を治してきた、絶対大丈夫といつた。
(四) 訴外清は、被控訴人の言葉を信用して、同年一二月八日被控訴人経営の断食道場に入寮(以下「入院」という。)した。訴外清は、その際洗面具、下着、湯飲み等の身の回りの品を持参したが、病院からもらつていた飲み薬やインシュリンは、被控訴人の言葉に従い持参しなかつた。訴外清は、右薬を持参しなかつたことを被控訴人に告げた。被控訴人は、訴外清に対して四一日間の入院治療が必要であると説明し、訴外清は、入会金として五〇〇〇円、入院費用(一日七〇〇〇円の割合による)の一部前渡金として九万五〇〇〇円の合計一〇万円を被控訴人に支払つた。
(五) 訴外清は、入院した同年一二月八日にローリング機や温冷浴(冷水と温水に交互に浸かる)等を受け、食事は予備断食ということで、昼、夜とも玄米がゆをどんぶり茶碗一杯、梅干し二個を与えられた。訴外清は、同日からインシュリンの注射はしなかつた。
(六) 同月九日、訴外清は、朝から温冷浴等を受けたが、このころから鼻水やくしやみが出るようになつて風邪気味となり、電話をかけた控訴人代司子に対しても鼻声で応答するほどであつた。これに対し、被控訴人は「最初は誰でも風邪をひく」といつて特に注意は払わなかつた。
(七) 同日一〇日、訴外清の体調はますます悪化し、夕方電話した控訴人代司子にも声がよく聞きとれないほどで、電話の声からもその異常がはつきり分かつた。そこで控訴人代司子は直ちに被控訴人に訴外清の異常を伝えたが、被控訴人は大丈夫というのみであつた。被控訴人は、同夜遅く同室の入院者から訴外清の様子がおかしいとの通報を受けたが、何らの措置もしなかつた。
(八) 同月一一日早朝、治療のため階下に下りてくるはずであつた訴外清が起きてこず、同室の入院者から訴外清の容態が尋常でないという報告を受け、被控訴人は同日午前八時三〇分ころになつてようやく訴外清の部屋に行くが、とりたてなんらの処置もとらず、午前九時二五分ころ救急車が到着したときは、訴外清は既に危篤の状態であり、直ちに救急車で近くの沼田病院に運ばれたが、既に手遅れで、同日午前一〇時五〇分ころ死亡した。
(九) 訴外清は、沼田病院の医師沼田毅の診断によれば、死因は糖尿病を原因とする心不全とされ、翌一二日久留米大学医学部病理学教室による病理解剖の結果、断食中に急性心不全を来し、肺出血により死亡したもので、断食中にインシュリンの投与を受けなかつたために高血糖を来したことが死亡の原因とされた。
2 被控訴人の責任(次の(一)、(二)は択一的)
(一) 契約による責任
(1) 訴外清と被控訴人は、健康回復を目的として断食法による指導を受けるという、いわば断食指導契約ともいうべき契約を締結したものである。したがつて、被控訴人は、入院した者に対しては、その病気治療のため最善を尽すべき義務はもちろん、入院中の健康管理、指導には十分な配慮をすべき義務がある。断食の身体に及ぼす影響に対しては十分適切な注意義務が求められ、入院者の多くが慢性病等を有する病人であることからすれば、この健康管理義務は医師のそれに準ずる程度に重大なものである。
(2) しかるに、被控訴人は、次のとおり尽すべき注意義務を怠り、その結果訴外清を死亡するに至らせた。
① 前記のとおり、被控訴人は、訴外清から同人が重篤の糖尿病患者である旨の説明を受けたにもかかわらず、インシュリン等の西洋医薬は使用しないので必要がないといい、その言葉に従つて訴外清が入院に際し右の薬を持参しなかつたことを承知しながら、格別の注意も与えなかつた。被控訴人は、過去多くの糖尿病患者を治療したというのであるから、糖尿病に対するインシュリンのもつ効用、必要性、インシュリンを中止した場合にこれが健康に及ぼす影響などについては知悉していたはずであり、インシュリン注射を常用する糖尿病患者がその注射を中止すると、高度のインシュリン不足を生じ、たちどころに全身倦怠感、喉の渇きなどから意識喪失を伴つて二、三日のうちに昏睡に陥り、ついに死に至るという危険が生ずるのであるから、訴外清の入院治療にあたつて、医薬を使用しないのであれば、入院を拒否するか、入院させるのであれば右医薬を使用しつつ食事療法を施すなどの措置を指示すべき義務があるのに、これを怠つたものである。
② 被控訴人は、前記のとおり、昭和五七年一二月一〇日から翌一一日の早朝にかけ、控訴人代司子や同室者から訴外清の体調の異常を訴えられているのであるから、直ちに訴外清にその体調を質し、インシュリン注射を打つているかどうか確認し、注射を中止しているのであればそれを原因とする体調の異常であることは容易に察しうるところであるから、即時医療上の措置をとるとともに容態の変化に細心の注意を払うべき健康管理義務がある。しかるに、被控訴人は、訴外清に対する右義務を怠り、同人が死亡する直前までなんらの措置もとらなかつた。
(二) 不法行為責任
(1) 被控訴人は、糖尿病患者に対するインシュリン注射の効用、必要性、インシュリン注射を中止すると高血糖をきたし昏睡に陥り死に至る危険を招来するものであることを充分承知していたし、また、このことは断食療法により病気等の治療にあたつている被控訴人としては当然知つておくべきであるから、右のような危険の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、被控訴人は、昭和四七年一二月一日、訴外清及び控訴人代司子に対し、訴外清がインシュリン注射と飲み薬を常用する糖尿病患者であることを知りながら、ここ(断食道場)ではインシュリンや飲み薬などの西洋医学の薬剤は使わない自然療法で治すと強調し、自然療法で治ると安心させ、訴外清らに右の薬は不要であり、入院治療にはむしろ薬を持つてきてはいけないと信じ込ませたばかりでなく、入院に際し、訴外清に医者と相談してきたかどうか、薬を持参しているかどうか、また入院後薬を使用しているかどうかについて何ら確認をしないで、同人を死亡させた。
(2) 被控訴人は、断食療法による治療を業とする者でありながら、入院者たる訴外清に対して前記(一)記載のとおり尽くすべき注意義務を怠つた過失により同人を死亡させたものである。
(3) したがつて、被控訴人は、民法七〇九条、七一〇条により右訴外清の死亡による損害を賠償すべき責任がある。
3 訴外清の死亡による損害
(一) 訴外清の逸失利益
三二八五万六三三九円
訴外清は、当時日本国有鉄道に勤務し、昭和五七年一年間の収入は合計二九七万〇一七二円であり、就労可能年数を六七才までとし、生活費を三〇パーセントとして、ライプニッツ係数を用いて逸失利益を算定すると、三二八五万六三三九円となる。
(二) 訴外清の慰謝料
一〇〇〇万円
訴外清は三五才の若さで死亡したが、妻子を残して死亡した無念さは多大なものがあり、これを慰謝するには一〇〇〇万円が相当である。
(三) 控訴人らの慰謝料
合計二〇〇〇万円
控訴人代司子は突然の夫の死亡により悲嘆の毎日を送つており、幼い子供を抱え、今後の生活に対し途方にくれている。また控訴人典子も、同善朗も、頼もしい父親を失い悲しみの中にある。これら控訴人らの悲しみを慰謝するには、控訴人代司子に対し一〇〇〇万円、控訴人典子、同善朗に対し各五〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用 合計四〇〇万円
控訴人らは本件訴訟を控訴人訴訟代理人に委任し、報酬として、控訴人代司子は金二〇〇万円、控訴人典子、同善朗は各金一〇〇万円を支払うことを約した。
(五) 相続関係
控訴人代司子は訴外清の妻、控訴人典子、同善朗はいずれもその子であり、訴外清の前記(一)及び(二)の損害賠償債権を相続により承継した。
よつて、控訴人代司子の損害賠償債権額は三三四二万八一六九円、控訴人典子、同善朗のそれは各一六七一万四〇八五円となる。
4 結論
よつて、被控訴人に対し、控訴人代司子は金三三四二万八一六九円、控訴人典子、同善朗は各一六七一万四〇八五円、及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める。
二 請求原因に対する被控訴人の認否
1 請求原因1(一)項の事実は、被控訴人が「岩本治療室」の名称を使用していることを否認し、その余の事実は認める。
2 同1(二)項は知らない。
3 同1(三)項は、訴外清が被控訴人に対して、自己が糖尿病に罹患している旨の説明をしたことは認め、被控訴人がインシュリンの注射や飲み薬は必要ないといつたことは否認し、その余は知らない。
4 同1(四)項は、訴外清が飲み薬及びインシュリン等の薬を持参しなかつたことは不知、持参しなかつたことを被控訴人に告げたことは否認し、その余は認める。
5 同1(五)項のうち、訴外清がインシュリンの注射をしなかつた点は不知、その余は認める。
6 同1(六)(七)項は否認する。
7 同1(八)項は、訴外清が治療のため階下に下りてくるはずであつたこと、被控訴人が取り立ててなんらの処置もとらなかつたこと、救急車の到着時刻を否認し、その余の事実は認める。
8 同1(九)項は認める。
9 同2項はすべて否認する。
10 同3項の(一)ないし(四)は不知、(五)のうち身分関係は認めるがその余は知らない。
三 被控訴人の主張
1 被控訴人の経営する断食道場は、断食を通じて健康の維持回復をはかることを目的とするもので、病気の治療そのものを目的とするものではない。被控訴人は医師法に違反するような医療行為にわたるようなことをしたことはない。
したがつて、被控訴人は、断食自体から生ずる健康上の問題について注意義務を負うのみで、それ以上に医師と同等ないしこれに準ずるような病気の治療についての注意義務はない。
2 訴外清は、インシュリンの注射を欠かさないこと、これを怠れば生命の危険があることは医師から注意を受けて十分に知つていたはずである。それにもかかわらず、訴外清は敢えてインシュリンの注射を中止したものであり、これは訴外清の自損行為ともいうべきものであつて、被控訴人に責任はない。
3 高血糖昏睡で病院に担び込まれた患者で救命できなかつたものはないといわれている。したがつて、訴外清の死亡については沼田病院の医療過誤が介在している疑いが強く、仮に被控訴人に何らかの過失があるとしてもその過失と訴外清の死亡との間に相当因果関係がない。
4 仮にそうでないとしても、医師の注意を無視して敢えて危険なインシュリンの注射を中止した訴外清の過失は重大であり、本件損害の算定に当たつて相当の過失相殺がなされるべきである。
四 被控訴人の主張に対する控訴人らの答弁
被控訴人の主張はいずれも争う。
第三 証拠関係<省略>
理由
一次の事実は当事者間に争いがない。
1 被控訴人は、肩書住所地において、「西式ヘルスドック」または「健康を守る会」の名称で、いわゆる断食道場を開業しているものである。
2 被控訴人経営の断食道場に入院する前に、訴外清が被控訴人に対して、自己が糖尿病に罹患している旨の説明をした。
3 訴外清は、昭和五七年一二月八日被控訴人経営の断食道場に入院した。被控訴人は訴外清に対して四一日間の入院治療が必要であると説明し、入会金として五〇〇〇円、入院費用(一日七〇〇〇円の割合による)の一部前渡金として九万五〇〇〇円の合計一〇万円を被控訴人に支払つた。
4 訴外清は、入院した同年一二月八日にローリング機や温冷浴(冷水と温水に交互に浸かる)等を受け、食事は予備断食ということで、昼、夜とも玄米がゆをどんぶり一杯、梅干し二個を与えられた。
5 同月一一日早朝、訴外清が起きてこず、同室の入院者から訴外清の容態が尋常でないという報告を受け、被控訴人は同日午前八時三〇分ころ訴外清の部屋に行つた。やがて救急車が到着したときは、訴外清は既に危篤の状態であり、直ちに救急車で近くの沼田病院に運ばれたが、同日午前一〇時五〇分ころ死亡した。
6 訴外清は、沼田病院の医師沼田毅の診断によれば、死因は糖尿病を原因とする心不全とされ、翌一二日久留米大学医学部病理学教室による病理解剖の結果、断食中に急性心不全を来し、肺出血により死亡したもので、断食中にインシュリンの投与を受けなかつたために高血糖を来したことが死亡の原因とされた。
二訴外清の死亡までの経過及び原因について、<証拠>に、前記当事者間に争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。原審及び当審における控訴人高口代司子、原審における被控訴人各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。
1 被控訴人は、私立三菱工業学校電気科を卒業後、昭和一五年に野一色電気医学校(治療士を養成する学校で、弱電低周波の電気治療を教えるところ)を出て治療士となり、昭和三二年に西医学(西勝造が昭和二年に創始した自然療法を主とした東洋医学をいう。)の資格(ただし、医師の資格ではない)を取得し、昭和四〇年から肩書住所地において、「西式ヘルスドック」、「健康を守る会」または「岩本治療室」の名称を使用して、いわゆる断食道場を開業しているものである。
同道場は、ビルの四階と五階にあり、四階は、四六坪(約一五一平方メートル)くらいのワンフロアーで、温冷浴室、各種治療機等を置いた治療室になつており、五階は、入院者の寝起きする部屋、食堂、被控訴人の居室兼宿直室などがあり、二DKの部屋が七室で、ベット数は二四である。被控訴人の他に助手一人と賄い婦二人がいる。ただし、医師や看護婦の資格を有する者はいない。
本件断食道場において断食療法を受ける者は、一年間に約一四〇人から二〇〇人くらいあり、その殆どは慢性の病気の治療を目的として来ているものである。そして、入院期間は、被控訴人が断食療法を受ける者から症状や健康状態等を質問したうえ、被控訴人が決定している。
2 訴外清は、昭和五七年八月一二日福岡県大牟田市内の大地評曙病院において糖尿病と診断され、同日から同年九月一七日まで同病院に入院し、同月一八日から同年一一月一三日まで同市内の済生会大牟田病院に入院して、それぞれ糖尿病の治療を受け、同月一四日から自宅で治療した後、同年一二月一日から勤務先の国鉄大牟田保線支区に復帰して、軽作業に従事することになつた。訴外清は、右大牟田病院から糖尿病手帳の交付を受け、同手帳には糖尿病の基礎知識が記載され、かつ、治療経過が順次記入されることになつている。
訴外清の病状は、血糖値の変動がかなり激しい不安定型の糖尿病であり、またインシュリン依存型の糖尿病であつて、食事療法運動療法をしたうえ、定期的に血糖値を検査して、インシュリンの投与により血糖をコントロールする必要があり、常時インシュリン注射と飲み薬を欠かせない状態であつた。そのため、訴外清は、右済生会大牟田病院を退院する前、同病院の医師からインシュリン注射の必要性と自己注射の方法についての指導を受け、退院後は同病院から一定量のインシュリンと注射器の交付を受け、これを使用して自ら自己の身体に右の注射をするようになつた。そして、訴外清は、右のコントロールができてさえおれば、通常人と変らない程度の社会生活を営むことが可能な状態にあつたが、もし断食をして食事をとらないとか、インシュリン注射を中止するとかすると、インシュリン不足を生じ、たちどころに高血糖になり、全身倦怠感、喉の渇きなどから段々意識を失つて大体二、三日で昏睡状態に陥り、死の危険が発生するので、訴外清が断食をするとかインシュリン注射を中止するということは極めて危険なことであって、現代医学では到底考えられないことであつた。
3 訴外清と妻の控訴人代司子は、知人から断食道場が病気のために効果があるという話を聞き、訴外清の糖尿病に対しても効果があるかどうかなどを確かめるため、昭和五七年一二月一日被控訴人方を訪れた。そして、訴外清らは、被控訴人に対し前記のようなこれまでの病状、前記の薬剤を注射及び服用していること等を詳細に説明し、被控訴人経営の断食道場でこの糖尿病が治るかどうかを尋ねた。被控訴人は、断食療法によつて右糖尿病は治る、今まで何人も糖尿病を治してきた、といい、そして、ここでは西洋医学の薬は一切使わずに治すので、病院からもらつているインシュリンの注射や飲み薬は必要ない、といつた。
被控訴人は、糖尿病患者も入院させて治療しており、糖尿病における低血糖、高血糖、インシュリンの効用等についてかなりの知識を有していた。
4 訴外清は、医師から生涯治らないといわれた糖尿病が、被控訴人は治るというので、多分に疑問を抱きつつも、被控訴人の言葉を信用して、同年一二月八日被控訴人経営のいわゆる断食道場(ヘルスドック)に入院することにし、同日入院した。訴外清は、入院の際、洗面具、下着、湯飲み等の身の回りの品を持参したが、病院からもらつていた前記の飲み薬、インシュリンや注射器は、被控訴人の前記必要がないとの言葉に従い持参しなかつた。被控訴人も訴外清が右の薬を持参しているかどうかについての確認をしなかつた。被控訴人は、訴外清の病状等から、同人に対して四一日間の入院治療が必要であると説明し、訴外清は、入会金として五〇〇〇円、入院費用(一日七〇〇〇円の割合による)の一部前渡金として九万五〇〇〇円の合計一〇万円を被控訴人に支払つた。
5 訴外清は、入院した同年一二月八日にローリング健康機(マッサージ等をする)や温冷浴(冷水浴と温水浴を交互にする)等の療法を受け、食事は予備断食ということで、昼、夜とも玄米がゆをどんぶり一杯、梅干二個を与えられた。そのほか「酵素」なる飲物(原審における被控訴人本人の供述によれば、「酵素」は、野菜、薬草、果物、海草等のエキスであるという。)を与えられた。訴外清は、被控訴人の言葉に従い同日からインシュリンの注射はせず、飲み薬も飲まなかつた。
6 同月九日、訴外清は、朝から温冷浴等の治療を受けたが、このころから風邪気味となり、控訴人代司子に対する電話の声も鼻声であつた。これに対し、被控訴人は「最初は誰でも風邪をひく」といつて何の処置もとらなかつた。
7 同月一〇日、訴外清の体調はインシュリン不足から次第に悪化し、夕方控訴人代司子に対する電話の声も弱々しくよく聞きとれないほどであつた。そこで控訴人代司子は直ちに電話で被控訴人に訴外清の容態が異常ではないかと尋ねたが、被控訴人は大丈夫というのみであつた。しかし、同日夜、訴外清が、体調も弱々しい感じで、喉が渇くといつて頻繁に水を飲みに起きるなどしたため、同室の入院者の小野健士らが、異常に思い、二度にわたつてそのことを被控訴人に知らせたので、被控訴人はその都度訴外清の部屋に様子を見に行つたが、訴外清に「大丈夫か」等と尋ねただけで、格別の処置もしなかつた。
8 同月一一日早朝、同室者の小野健士らが治療に行こうと訴外清を誘つたが、同訴外人は、少し異様ないびきをかいて寝ており、顔色も悪く、声をかけても反応がない等、異常な状態が感じられたので、前記小野らは直ちにその旨を被控訴人に連絡した。被控訴人は、同日午前八時三五分ころ訴外清の部屋に行き、訴外清の前記状態を見て、糖尿病に基づく低血糖による昏睡ではないかと判断し、前記「酵素」約四〇cc(シーシー)を飲ませ、羊羹を三、四センチに切つて食べさせようとしたが、状態が改善しないので、直ちに救急車を呼んだ。
午前九時ころ救急車が到着したときは、訴外清は、既に危篤の状態であり、救急隊員による人工呼吸などの手当を受けた後、九時三〇分ころ救急車で近くの沼田病院に搬送されたが、既に手遅れの状態であり、人工呼吸、心臓マッサージ、インシュリン注射、輸液等の手当を受けたが、同日午前一〇時五〇分同病院で死亡した。
9 訴外清は、沼田病院の医師沼田毅の死亡診断書(前掲甲第四号証)によれば、死因は糖尿病を原因とする心不全とされ、翌一二日久留米大学医学部病理学教室による病理解剖の結果(前掲甲第七号証)によれば、直接の死因は肺浮腫、肺出血及び無気肺によるものであるが、その原因、それまで連日投与を受けていたインシュリンの注射を、前記断食中に中止したために高血糖による昏睡を来したことによるものとされた。
三以上認定の事実に基づき、まず、控訴人ら主張の不法行為の成否について判断する。
前記事実によれば、被控訴人経営の断食道場は、断食を通じて慢性病等の治療をし、その健康の維持回復をはかることを主たる目的とするものであり、被控訴人は、同道場への入院者からその健康状態、病状等を質問(問診)して入院期間を決定したうえ、入院者に断食療法を施していることが明らかである。
ところで、断食療法は、一定期間食物を断つことであるから、その療法の方法、療養を受ける者本人の健康状態、病名、病気の軽重、症状、断食の期間、断食療法を施行する者の医学知識の有無、程度等のいかんによつては、本人に死の結果を招来させたり、病状を重篤・深刻化させたりする虞れのあることが当然予想されるのであるから、断食道場を開設して断食療法を行う者は、まず、療養を受ける者本人が断食療法に適する者であるかどうかを選別する必要がある。
そして、その選別は、現代医学に通じている医師によつてなされるほかはないところ、被控訴人は医師の資格を有しないのであるから、断食療法を行うに当り、被控訴人としては、少なくとも病院で病気治療中の者に対しては、断食療法の可否につき事前に担当医師に相談をしてその指示を受けてくるよう指導すべき注意義務があり、殊にかなり重い糖尿病患者で医師の指示のもとにインシュリン注射や飲み薬を常用している者に対してはなおさらであつて、医学上の根拠なくして安易にインシュリン注射等の薬を使用しなくても糖尿病が治るなどというべきでないことはいうまでもない。さらに、右のように病気治療中の者を入院させるには、被控訴人としては、前記の医師の指示を受けてきたかどうか、薬は持参しているかどうかを確認するとともに、もし医師の指示を受けず、かつ、医師の指示による投薬を中止して入院する者に対しては入院後おける本人の健康状態の変化に細心の注意を払い前記の危険の発生を未然に防止すべき義務があるというべきである。
しかるに、被控訴人は、前記の各注意義務を怠り、昭和五七年一二月一日、訴外清及び控訴人代司子に対し、訴外清が医師の指示によりインシュリン注射と飲み薬を常用するかなり重い糖尿病患者であることを知りながら、断食療法の可否につき担当医師の指示を受けるよう指導しなかつたばかりか、断食療法により糖尿病は治る、インシュリン注射や飲み薬は必要ないと明言し、この言葉を信用した訴外清が、同月八日飲み薬、インシュリンや注射器を持参しないまま入院し、同日から右注射等を中止したため、インシュリン不足を生じ、高度の高血糖状態になり、ついに昏睡に陥つて同月一一日死亡するに至つたものである。さらに、被控訴人は、訴外清の右入院から同人が死亡する直前まで同人がインシュリン等の薬剤を持参しているかどうかを確認せず、また同月一〇日夜には控訴人代司子や同室の入院者から訴外清の容態が異常ではないかとの知らせを受けたのに、単に同人に「大丈夫か」といつたのみで、インシュリン不足により高血糖状態に陥つていく同人の容態の変化に対する注意を怠り、危篤状態に陥る直前まで何らの措置もとらなかつたものである。
被控訴人は訴外清の死亡は沼田病院の医療過誤が介在している旨主張するが、被控訴人の立証並びに本件の全証拠をもつてしても右主張の医療過誤を認めるに足りない。
そうすると、訴外清の死亡は、被控訴人の前記注意義務違反によるものであることが明らかである。
よつて被控訴人は右不法行為に基づき訴外清の死亡による損害を賠償する責任がある。
四もつとも、訴外清の方も、被控訴人が医師でないことは知つていたのであり、被控訴人がいう断食療法で糖尿病が治るということには、多分に疑問を抱きつつも、一縷の望みをかけて同療法を受けようとしたのであるから現に治療を受けインシュリンの注射等を指示していた医師に対して、インシュリン注射等を中止しても危険がないかどうか、断食道場による療法を受けても健康上別状がないかどうか等を事前に相談すべきであつたにもかかわらず、これをしないで、漫然と被控訴人の言葉を信用して、インシュリンの注射は必要ないものと考え、医師の指示に反して、その注射を中止したため本件死亡事故を惹き起したものであるから、同事故発生につき訴外清にも過失があるといわざるをえない。
しかし、前記認定のとおり被控訴人の前記の注意義務に反する行為により本件事故が惹起されたものであるから、訴外清が事前に前記の相談しないまま医師の指示に反して注射を中止したからといつて、これを同人の一方的な自損行為であつて被控訴人に責任がないということはできない。
訴外清の右過失は損害賠償額の算定に当たり考慮すべきものである。そして、以上認定した諸事情を総合して判断すれば、本件死亡事故発生に対する被控訴人と訴外清との過失の割合は三〇パーセント(被控訴人)対七〇パーセント(訴外清)と認めるのが相当であるから、これを損害額から控除すべきである。
五そこで本件事故に基づく損害額について判断する。
1 訴外清の逸失利益について
<証拠>によれば、訴外清は事故当時三五才の男子で、国鉄大牟田駅の保線支区に勤務し、昭和五七年一年間の給与は合計二九七万〇一七二円であり、本件事故がなければ、その後労働可能と考えられる六七才までの三二年間は、右と同程度の収入を挙げることができたものと認めるのが相当である。もつとも、前記認定のとおり、訴外清は、本件事故前に既に糖尿病に罹患していたものではあるが、事故直前は退院して通常の勤務に戻り、軽作業に従事しつつ稼勤し始めたときであつたこと、前記甲第二三ないし第二五号証によれば、糖尿病は、体質に基づく病気であつて、体質は一生変らないから、将来完全に治癒するということはなく、生涯療養を必要とする病気であるが、薬物療法、食事療法、運動療法等により常に血糖値等をコントロールしてゆけば、通常人と変わりない生活ができ、特に労働能力が減少するものではないことが認められる。
<証拠>によれば、訴外清一家は同人と妻の控訴人代司子、未成年の子の同典子、同善朗の四人家族であり、控訴人代司子もパートで働きに出ていたが(年収一一八万〇九一〇円)、訴外清が一家の支柱をなしていたことが認められ、訴外清の前記収入のうち同人の生活費の占める割合は四〇パーセントと認めるのが相当であるから、これを逸失利益額から控除すべきである。
そこで、訴外清の得べかりし利益の事故当時の現価をライプニッツ方式により中間利息を控除して算定すると、次の計算により二八一六万二五七六円(円未満切り捨て。以下同じ。)となる。なお15.803は三二年のライプニッツ係数である。
2,970,172×(1−0,4)×15.803=28,162,576
そして、前記認定のとおり、本件事故における訴外清の過失の割合が七〇パーセントであるから、過失相殺として、右損害額からこれを控除すると八四四万八七七三円となる。
2 慰謝料について
前記認定のとおり、訴外清は、三五才の若さで、妻子を残して死亡したこと、控訴人らは、一家の支柱ともいうべき夫または父親を失つたことにより、多大の精神的苦痛を受けたことは容易に推認することができ、以上に認定の諸事情(本件事故発生について前記の訴外清の過失を含む。)を総合して判断すれば、右の精神的損害に対する慰謝料は、訴外清について二〇〇万円、控訴人代司子について一〇〇万円、控訴人典子、同善朗ににいて各五〇万円と認めるのが相当である。
3 弁護士費用について
控訴人らは、本件訴訟の提起を余儀なくされ、その訴訟追行を弁護士たる控訴人ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、同代理人に相当額(ただし後記認容する額を下らない額)の報酬の支払いを約したことが推認でき、本件事案の難易、請求額、認容された額等諸般の事情を斟酌すれば、そのうち本件事故と相当因果関係ある損害と認め得る額は、控訴人代司子六〇万円、同典子、同善朗各三〇万円とするのが相当である。
六訴外清と控訴人らとの身分関係については当事者間に争いがないから、訴外清の前記五の1項の逸失利益及び同五の2項のうち訴外清の慰謝料の各損害賠償債権については、控訴人代司子が二分の一(逸失利益四二二万四三八六円、慰謝料一〇〇万円)、その余の控訴人が各四分の一(逸失利益二一一万二一九三円、慰謝料五〇万円)をそれぞれ相続したことになる。
そうすると、控訴人らの各請求は、控訴人代司子が金六八二万四三八六円、同典子、同善朗が各金三四一万二一九三円及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五八年四月一五日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきことになる。
七よつて、これと異なる原判決を変更して、控訴人らの各請求をいずれも右の限度で認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九八条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山口茂一 裁判官綱脇和久 裁判官榎下義康)